憲法の無料テキスト

生存権(憲法25条)プログラム規定説・抽象的権利説・具体的権利説

憲法第25条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

日本国憲法は、生存権(25条)、教育を受ける権利(26条)、勤労の権利(27条)、労働基本権(28条)という社会権を保障しています。

そして、この25条(生存権)は、国民が誰でも、人間的な生活を送ることができることを権利として宣言したものです。上記第1項の趣旨を実現するために、第2項は、国に生存権の具体化について努力する義務を課しています。それを受けて、具体的に生活保護法や児童福祉法、身体障害者福祉法、国民年金法、国民健康保険法等の社会保障制度が設けられています。

プログラム規定説(判例:食糧管理法違反事件)

まず初めに問題になるのが、生存権に「法的権利性」があるかどうかです。

一つの考え方として、「プログラム規定説」という考え方があります。この考え方によると、生存権は、上記の通り、25条によって、国民が最低限度の生活を営むことができるように国に対して努力するよう要求しているだけであって、国民は国に対して「具体的な措置を講ずるよう請求できる権利」はありません(=法的権利性なし、法的権利性を否定した考え方)。

つまり、国が自主的に、生存権の保障のために、法律を作りなさいよ!と憲法25条で定めているだけだということです。具体的な法律の定めることは国の自由な裁量権に委ねられることになります。

さらに、プログラム規定説によると、「国民に対する具体的な請求権」もなければ、「国が法律を定める義務」もないため、生存権に基づいて訴えを提起することはできません(裁判規範性なし)。

抽象的権利説と具体的権利説

これに対して、生存権について「法的権利性を肯定する」見解もあります。つまり、25条は国に対して、国民が最低限度の生活が送れるための法律を定めること、またそのための予算を付けることを法的義務としている考え方です。この考え方をするのが「抽象的権利説」と「具体的権利説」です。どちらも、法的権利性はあります。違いは裁判規範性があるかどうかです。言い換えると、生存権に基づいて、裁判で争えるかどうかです。

そして、判例では、生存権は、プログラム規定説を採用しています。

抽象的権利説

抽象的権利説とは、生存権は25条に基づいて訴えを起こすことができず(裁判規範性なし)、具体化する法律があって初めて訴えを起こすことができる(裁判規範性あり)という考え方です。

上記2項のように、生活保護法などの法律違反がある場合に限って、その法律違反に基づいて訴訟提起できるということです。言い換えると、生存権は抽象的な権利であるため、生存権に違反するからといって訴訟提起はできないということです。

具体的権利説

具体的権利説とは、生存権は憲法25条で保障されている具体的な権利だから、法律がなくても、直接25条に基づいて訴訟提起できる裁判規範性あり)という考え方です。

上記の2項のように生活保護法等の法律がなくても、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有していない場合、25条の生存権侵害を理由に訴訟提起できるという考え方です。しかし、判例では、具体的権利説は採用していません。

生存権に関する重要判例

  • 『第25条第2項において、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定しているのは、社会生活の推移に伴う積極主義の政治である社会的施設の拡充増強に努力すべきことを国家の任務の一つとして宣言したものである。そして、同条第1項は、同様に積極主義の政治として、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう国政を運営すべきことを国家の責務として宣言したものである。それは、主として社会的立法の制定及びその実施によるべきであるが、かかる生活水準の確保向上もまた国家の任務の一つとせられたのである。すなわち、国家は、国民一般に対して概括的にかかる責務を負担しこれを国政上の任務としたのであるけれども、個々の国民に対して具体的、現実的にかかる義務を有するのではない。言い換えれば、この規定により直接に個々の国民は、国家に対して具体的、現実的にかかる権利を有するものではない。社会的立法及び社会的施設の創造拡充に従って、始めて個々の国民の具体的、現実的の生活権は設定充実せられてゆくのである。』として、25条がプログラム規定説であることを示した。(最大判昭23.9.29:食糧管理法違反事件)
  • 結核を患っていたXが生活保護法に基づく医療扶助及び生活扶助を受けていました。しかし、Xの兄からの仕送りがあることを理由に、扶助打ち切りとなり、争られた。
    これに対して最高裁は、「憲法25条1項はすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に具体的権利を賦与したものではない」とし、25条の法的権利性を否定している点では、プログラム規定説を採用しています。
    一方で、「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、厚生大臣の合目的な裁量に委されてる。そしてその判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあっても、裁量の逸脱と濫用がある場合以外は、違法の問題は生じない」として
    裁量権の著しい逸脱がある場合、司法審査の可能性を認めるということから「裁判規範性を肯定」しています。そのため、「裁判規範性あり」という点では、プログラム規定説には当てはまらないので、25条は、完全なプログラム規定説ではないと解されています。(最大判昭42.5.24:朝日訴訟
  • 障害年金を受給していた者が、子を育てていたため、児童扶養手当の受給申請をした。
    しかし、障害年金と児童扶養手当を同時に受給することはできない併給禁止の規定があり、申請が却下され、争われた。
    これに対して最高裁は、
    「憲法25条の『健康で文化的な最低限度の生活』とは、きわめて抽象的・相対的な概念であり、立法による具体化が必要であり、具体的な立法措置を講ずるかの選択決定は、多方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものであり、立法府の広い裁量に委ねられている。」として25条の法的権利性は否定した。
    また一方で、「立法府の措置が著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない」として、裁量の逸脱・濫用の場合は、司法審査の対象となるとのことなので、裁判規範性ありと判断しました。そのため、『朝日訴訟』同様、プログラム規定説ではあるが、裁判規範性はあると解釈しました。(最大判昭57.7.7:堀木訴訟

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裁判所(司法権が及ぶかどうか)

憲法76条
すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
2 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

司法権とは?

司法権とは、具体的な争訟について、法を適用し、宣言することによって争訟を裁定する国家の作用のことを言います。分かりやすく言えば、具体的な事件について、法律を使って解決する行為のことです。

具体的な争訟とは?

そして、具体的な争訟を「法律上の争訟」という言い方をしますが、「①当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争」であって「②法律を適用することによって終局的な解決をすることができるもの」です。

例えば、あなたが、Aさんに100万円を貸して返してくれないため、裁判をしようとしたとします。この場合、あなたは、Aさんに対して「100万円を返してもらう権利」があります。つまり、上記①を満たします。そして、お金の貸し借りについて、民法という法律を使えば、解決できます。そのため②も満たします。したがって、これは、具体的な争訟と言えるわけです。

具体的な争訟に当たらない事例(判例)

下記判例の通り、「具体的事件性がなく抽象的な事件」「宗教の対象の価値、宗教上の教義の判断、宗教上の地位の確認」については、具体的な争訟(法律上の争訟)に当たらないとして、司法権が及びません。(却下される)

  • 自衛隊の前進である警察予備隊の設置について、当時の日本社会党の代表者Xが、警察予備隊の設置及び維持は、憲法9条に反するとして、国に対して無効確認の訴えを提起した。これに対して最高裁は、
    「わが裁判所が現行の制度上与えられているのは司法権を行う権限であり、そして司法権が発動するためには具体的な争訟事件が提起されることを必要とする」として、上記でも解説した通り、裁判で審理するためには、具体的な争訟である必要があるということです。また、
    「裁判所は具体的な争訟事件が提起されないのに将来を予想して憲法及びその他の法律命令等の解釈に対し存在する疑義論争に関し抽象的な判断を下すごとき権限を行い得るものではない。」として、将来的にそのような論争が起こり得るとしても、抽象的なことを判断する権限は裁判所にはない、としています。さらに、
    「わが現行の制度の下においては、特定の者の具体的な法律関係につき紛争の存する場合においてのみ裁判所にその判断を求めることができるのであり、裁判所が、かような具体的事件を離れて抽象的に法律命令等の合憲性を判断する権限を有するとの見解には、憲法上及び法令上何等の根拠も存しない。」として、裁判所が違憲立法審査権を行使するには、実際に起こった具体的な争訟事件が必要ということです。言い換えると、わが国は、「付随的違憲審査制」を採用している、と判旨しています。
    結局のところ、今回の訴えについては、具体的な争訟に当たらないとして、却下されました。(最大判昭27.10.8:警察予備隊訴訟
  • 国家試験の合格、不合格の判定は、司法審査の対象となるかについて、最高裁は「国家試験の合格・不合格の判定は、学問・技術上の知識、能力、意見等の優劣、当否の判断を内容とする行為であるから、試験実施機関の最終判断に委ねられる」として、法令を適用することによって解決することができない事案なので、裁判の対象とはなり得ないとしました。(最判昭41.2.8:技術士国家試験事件)
  • 創価学会の本尊である「板曼荼羅(いたまんだら)」を安置するために「正本堂」を建築しようと、創価学会が、会員に建築費の寄付を募りました。
    寄付をした創価学会の会員は「板まんだらは偽物だ」として、寄付金の贈与の錯誤無効を主張し不当利得の返還を請求した。
    これに対して最高裁は「本件訴訟は、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとっており、信仰の対象の価値または宗教上の教義に関する判断は、錯誤無効による不当利得の返還請求を認めるか否かの前提条件にとどまっているとされているが、実際、問題、信仰の対象の価値等に対する判断が、本件を判断する上で必要不可欠なものと認められ、本件訴訟の争点および当事者の主張立証もこの判断に関するものがその核心となっていると認められることからすれば、結局、本件の訴訟は、その実質において法令の適用による終局的な解決の不可能なものであって、裁判所法3条にいう『法律上の争訟』にあたらない」とした。(最判昭56.4.7:板まんだら事件

司法権の限界

具体的な争訟であったとしても、「他の権利との関係」や「制度上の理由」から裁判所が判断を回避する場合があります。これを司法権の限界と言います。

憲法に規定された限界

下記については、裁判所による司法権は及びません。(裁判所は裁判をしない)

国際法上の限界

例えば、「外交使節の裁判権免除」。外国から日本に派遣された外交官が犯罪を犯した場合、日本の裁判所で裁判をせず、派遣元の国で裁判を行います。

憲法解釈上の限界

天皇と民事裁判権

天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、天皇には民事裁判権は及ばない。(最判平元.11.20)

自律権の問題

自律権とは、懲罰や議事手続きなど、国会や各議院の内部事項について自主的に決定できる権能を言います。

議院の自律権はこちら>>

憲法上、国会等に与えられた自律権については、それぞれの組織が決定権を持っているため、司法権は及びません。(最大判昭37.3.7:警察法改正無効事件

ただし、「議院の除名処分」「出席停止処分」は司法審査が及びます。(最大判昭35.10.19:地方議会議員懲罰事件)(最大判令2.11.25:地方議会議員出席停止事件

裁量行為

憲法が、立法権や行政権に対して一定の裁量を認めている場合があります。裁量の範囲内の行為については当か・不当かが問題になるだけで、違法性は問いません。そのため、原則、裁判所は審査できません。

統治行為(政治行為)

統治行為とは、高度な政治性のある国家行為で、例えば、「衆議院の解散行為」です。これは、国会等の判断を尊重すべきところなので、裁判所の審査は及びません。(最大判昭34.12.16:砂川事件最大判昭35.6.8:苫米地事件

部分社会の法理

部分社会の法理とは、ある団体内部の紛争で、団体の自立的な判断を尊重すべきとして、司法審査が及ばない考えを言います。ただし、一般市民秩序と直接関係する問題に対して司法審査が及びます。(最大判昭35.10.19:地方議会議員懲罰事件最判昭52.3.15:富山大学事件最判昭63.12.20:共産党袴田事件

司法権の限界に関する重要判例

  • 1954年(昭和29年)に改正された新警察法について住民が法律として無効であるとして争われた。これに対して最高裁は「新警察法は両院において議決を経たものとされ、適法な手続によって公布されている以上、裁判所は両院の自主性を尊重し、議事手続に関する事実を審理してその有効無効を判断すべきでない」として司法権が及ばないとした。(最大判昭37.3.7:警察法改正無効事件
  • 地方議会が議員Xの出席停止とする懲罰を決議し、Xがこの決議の無効の確認および取消しの訴えをした。
    これに対して最高裁は「自律的な法規範をもつ社会ないしは団体に在つては、当該規範の実現を内部規律の問題として自治的措置に任せ、必ずしも、裁判による審査が適当でないものがある。本件における出席停止の如き懲罰はまさにそれに該当するものと解するを相当とする。」として、議員の出席停止処分は、議院内部の話として司法審査が及ばないとしています。
    また、一方で、
    「議員の除名処分の如きは、議員の身分の喪失に関する重大事項で、単なる内部規律の問題に止らない」として議員の除名処分については、議院内部の話ではなく、司法審査が及ぶとしています。(最大判昭35.10.19:地方議会議員懲罰事件
  • デモ隊員がアメリカ空軍基地内へ侵入した行為が、日米安保条約に違反された事件について、そもそも、日米安保条約が違憲ではないかと争われた。
    これに対して最高裁は「日米安保条約は高度の政治性を有するものであって、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り、司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものである」として、日米安保条約は高度な政治性を有するものなので、原則、司法権が及ばないとしつつ、一見極めて明白に違憲無効であると認められる場合は、司法権が及ぶとしました。(最大判昭34.12.16:砂川事件
  • 吉田内閣時代、吉田自由党と鳩山自由党が対立しており、吉田自由党は密かに選挙の準備を進めておき、準備の整っていない鳩山派に打撃を与える目的で、抜き打ちで衆議院の解散を行った。これに対して最高裁は「衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であって、かくのごとき行為について、その法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にありと解すべきである」として、衆議院の解散については司法審査の対象外と判示しました。(最大判昭35.6.8:苫米地事件)
  • 富山大学のA教授が、大学から授業担当停止処分を受け、学生への代替科目履修の指示を行った。しかし、A教授は、授業担当停止処分に従わず、授業を続行し、学生Xもその授業を受け、A教授からの成績評価を受けた。しかし、学校は、Xに対して単位認定をしなかった。これに対して、Xは学校に対して単位認定するよう求めた。
    これに対して、最高裁は「自律的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の争訟のごときは、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、その自主的、自律的な解決に委ねるのを適当とし、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当」
    また、
    「単位授与(認定)行為は、特段の事情のない限り、純然たる大学内部の問題として、大学の自主的、自律的な判断に委ねられるべきものであって、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが相当」として、一般市民法秩序と直接関係しない単位認定は、大学内部の問題(部分社会の法理)として司法審査が及ばないとしました。(最判昭52.3.15:富山大学事件
  • 日本共産党の党員Xが、党規律違反を理由に、党から除名処分を受けた。この除名処分について、最高裁は「政党の結社としての自主性にかんがみると、政党の内部的自律権に属する行為は、法律に特別の定めのない限り尊重すべきである」とし
    さらに
    「政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否については、原則として自律的な解決に委ねられ、一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばないというべき」とし
    政党の党員に対する除名処分は、原則、司法審査の対象とならず一般市民法秩序と直接の関係を有する場合は、例外的に司法審査の対象となる判示した。(最判昭63.12.20:共産党袴田事件

<<内閣の権能 | 司法権の独立>>

議院の権能(議院自律権と国政調査権)

これから、議院の権能を学ぶのですが、議院の権能とは、各議院が行えることです。

議院の権能として「議院の自律権」と「国政調査権」の2つがあります。

議院の自律権

衆議院と参議院それぞれの自立性を尊重するために、各議院の自律権を認めて、内部的なことは、各議院が自主的に決定できるようにしています。

具体的にどのような内容について自主的に決定できるのか、下記4つがあります。

  1. 議員の資格争訟裁判(55条)
  2. 役員の選任(58条1項)
  3. 議院の懲罰(58条2項)
  4. 議院規則の制定(58条2項)

議員の資格争訟裁判

憲法第55条
両議院は、各々その議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

資格訴訟裁判とは、衆議院議員や参議院議員が、国会議員となる資格を有しているか(例えば、公務員と兼務していないか)を審議する裁判です。

ここで、国会議員の議席を失われるためには、出席議員の3分の2以上の賛成が必要です。

これは、衆議院は衆議院議員の資格に関する争訟を裁判でき、参議院は参議院議員の資格に関する資格の争訟の裁判ができます。

役員の選任

憲法第58条
両議院は、各々その議長その他の役員を選任する。

役員とは、副議長、常任委員長(内閣委員長、総務委員長、法務委員長など)、特別委員長(災害対策特別委員長等)、憲法審査会会長等があります。これらの役員を衆議院、参議院で選任します。

※役員の解任については、国会法第30条の2で「各議院において特に必要があるときは、その院の議決をもって、常任委員長を解任することができる。」と規定されています。

議員の懲罰

憲法第58条
2 両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

院内の秩序を乱した議員については、「戒告・陳謝・登院禁止・除名」といった懲罰をすることができます。そして、懲罰の中でも「除名」については、一番重い処分なので、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要としています。

議院規則の制定

これも、上記憲法58条2項に規定されています。

議院規則は、議会の各議院が、各々単独の議決により、会議その他の手続及び内部の規律に関して定める規則です。議院規則であり、議員規則ではないので注意しましょう!

具体的にどのような内容か知りたい方は下記からご確認ください!

>>衆議院規則

>>参議院規則

国政調査権

憲法第62条
両議院は、各々国政に関する調査を行い、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。

国政調査権とは、国会の持つ立法権や行政権が適切に行使されているかを監視・調査を行う権利です。これは、各議院それぞれに与えられています。

そして、各議院に国政調査権があるといっても、その権利には一定の限界があります(国政調査権の限界)。

どのような限界かは下記の通りです。

司法権と議院の国政調査権との関係

司法権に対しては、特にその独立性が憲法上強く保障されているため、裁判内容を批判するための調査は許されません
現に裁判で係争中の問題に関して、裁判所と異なる目的であれば、議院が独自に並行的に調査することが許されます

検察権と国政調査権との関係

検察事務は、本来行政作用であるから、犯罪捜査、公訴提起、不起訴処分など検察事務の運営方法についてその妥当性を調査することは、原則として国政調査権の内容となります。ただし、裁判と密接に関連するため、司法権に対するのと同じように、慎重な配慮が要請されます。具体的には、下記3つについては、違法または不当調査となります。

  1. 起訴・不起訴について、検察権の行使に政治的圧力を加えることが「目的」と考えられる調査
  2. 起訴事件に直接関係する事項(対象)の調査
  3. 捜査の続行に重大な支障を及ぼす「方法」による調査

一般行政権と国政調査権との関係

国政調査権は上記検察事務以外の行政活動に対しては、民主的コントロールの必要性から広く行えます。従って、各省庁の監督下の公益法人(独立行政法人も含む)の活動に対しても、調査権を行使することができます。

人権と国政調査権との関係

国民の権利・自由を侵害するような手段・方法で国政調査権を行使してはならない

<<国会の権能 | 国会議員の特権>>

国会の権能

国会の権能とは、国会が何をすることができるかということです。

具体的に国会は、下記8つのことを行うことができます。

国会の7つの権能

  1. 憲法改正を発議する(96条1項)
  2. 法律を議決する(59条1項)
  3. 内閣総理大臣を指名する(67条1項前段)
  4. 弾劾裁判所を設置する(64条1項)
  5. 財政を監督する(86条、90条等)
  6. 皇室の財産事項を議決する(8条)
  7. 条約を承認する73条3号
    条約の締結内閣の権能(仕事)なので注意!

弾劾裁判所の設置

弾劾裁判とは、裁判官に非行があった場合に、その裁判官を辞めさせるかどうかを判断する裁判です。そして、弾劾裁判所は、国会内に設置され、参議院・衆議院の両議院から選ばれた(選挙された)各7名(合計14名)の国会議員が裁判員となり、裁判をします。

財政の監督

財政監督については、下記条文を確認していただければ、どのような内容かはある程度イメージできると思います。だいたい、こんなことをするのかと分かれば大丈夫です。

憲法第83条
国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。

憲法第84条
あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。

憲法第85条
国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。

憲法第86条
内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。

憲法第87条
予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
2 すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。

憲法第88条
すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。

憲法第89条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

憲法第90条
国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。

憲法第91条
内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。

<<衆議院の優越 | 議院の権能>>

憲法の無料テキスト|行政書士

行政書士試験の無料テキスト(憲法)

目次

人権

統治

法の下の平等(憲法14条)

憲法第14条1項
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

法の下の平等とは?

上記条文の「法の下の平等」とは、法を執行し、適用する行政権・司法権が国民を差別してはならないというだけでなく、法の内容自体も平等原則に従い、定めなければならないことを意味します。例えば、法律で、「所得税は一律100万円」としたとします。一見すると平等に見えますが、「年収100万円のA」も「年収2000万円のB」も、所得税が100万円なので、Aは生活ができなくなり、Bは1900万円も残ります。これでは、実質的に平等とは言えません。つまり、憲法上の「法の下の平等」とは絶対的な平等(税額が同じ)ではなくて、性別や年齢、財産、職業、年収などの違いを前提とした平等(相対的な平等)を求めています。

また、恣意的(論理的でなく自分勝手)な差別は許されないですが、合理的な区別は許されます。例えば、「年収100万円の人は、所得税を免除して、年収2000万円の人は、所得税600万円」という風に異なる扱いをしても憲法違反になりません。

法の下の平等の重要判例

  • 尊属殺人とは、目上の親族を殺害することを指します。そして、かつての刑法200条では、尊属殺人罪の場合には、死刑か無期懲役しかありませんでした。一方、他人を殺害した場合は、死刑・無期懲役のほか、有期の懲役刑も定められており、場合によっては、執行猶予も可能でした。このように尊属殺人について、重く処罰される法律は、憲法14条の法の下の平等に違反するとして争われた。
    最高裁は、次のように述べた。「尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、あながち不合理であるとはいえない。」しかし、「尊属殺の法定刑が死刑または無期懲役刑に限られている点においてあまりにも厳しいものであり、合理的根拠に基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない。」したがって、かつての刑法200条は、憲法14条に違反するとして、違憲判決が下された。(最大判昭48.4.4:尊属殺重罰規定違憲判決
  • かつて国籍法3条1項では、「日本人の父」と「外国人の母」との間に出生した後に父から認知された子につき、父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した場合に限り日本国籍の取得を認めていた。そして、結婚していない「日本人の父」と「フィリピン人の母」との間に出生したXが、出生後に父から認知を受けたことを理由に法務大臣あてに国籍取得届を提出したところ、父母がその後、結婚していないため、上記3条1項の要件を満たしていないとして、日本国籍の取得を認められなかった。これに対して、Xは、父母の婚姻(嫡出子であること)を国籍取得の要件とする上記規定は、法の下の平等を定めた憲法14条に違反するなどと主張して、争った。この点について最高裁は、「日本国民である父から出生後に認知されたが、婚姻まではしていない場合(非嫡出子)の扱いについて、著しく不利益な差別的取扱いを生じさせているといわざるを得ず」かつての国籍法3条1項は、憲法14条に違反するとして、違憲判決が下された。(最大判平20.6.4:国籍法3条1項違憲判決)
  • かつて民法900条4号ただし書きにおいて、法定相続人として嫡出子と非嫡出子がいる場合には、非嫡出子の法定相続分は嫡出子の法定相続分の2分の1とするという規定が置かれていた。つまり、「婚姻した夫婦間で生まれた子」と 「婚姻外の男女間の子」では、相続分が2倍違うということです。これは、憲法14条の法の下の平等に違反するのではないかと争われた。最高裁は、「父母が婚姻関係になかったという、子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきている」として、上記民法900条4号ただし書きは、憲法14条1項に違反し無効であるとした。(最大決平25.9.4:非嫡出子相続分差別違憲決定
  • 再婚禁止期間を定めるかつての民法733条1項では、「女性は離婚や結婚取り消しから6ヶ月を経た後でなければ再婚できない」との規定されていました。男性には上記規定はなく、これは、平等違反ではないかと争われた。この点について、最高裁は、「再婚をする際の要件に関し男性と女性とを区別しているから、このような区別をすることが事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものと認められない場合には、本件規定は憲法14条1項に違反することになると解するのが相当である。そして、本件規定のうち100日の再婚禁止期間を設ける部分は、憲法14条1項に違反するものではない。これに対し、本件規定のうち100日超過部分については,民法772条の定める父性の推定の重複を回避するために必要な期間ということはできない」として、100日を超える部分は違憲として無効と判断しました。(最大判平27.12.16:再婚禁止期間違憲訴訟)
  • 民法750条では、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」と夫婦の姓は同じにするように規定しています。96%以上の夫婦において夫の氏を選択するという性差別を発生させ、ほとんど女性のみに不利益を負わせる効果を有する規定であるから、憲法14条1項に違反するのではないかと争われた。これに対して、最高裁は「本件規定は、夫婦が夫又は妻の氏を称するものとしており、婦がいずれの氏を称するかを夫婦となろうとする者の間の協議に委ねているのであって,その文言上性別に基づく法的な差別的取扱いを定めているわけではなく、本件規定の定める夫婦同氏制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではない」として、憲法14条1項に違反はしていないとした。(最大判平27.12.16:夫婦別姓訴訟)

衆議院議員定員不均衡訴訟

衆議院議員選挙と参議院議員選挙では、内容が異なるので別々に考えましょう。

そして、衆議院議員選挙についての議員定数不均衡訴訟は、いくつか判例があるのでそれぞれ覚えておきましょう。

  • 一票の較差が最大4.99倍であった昭和47年の衆議院議員総選挙の定数配分が投票価値の平等に反していないか争われた。これに対し、最高裁は、「法の下の平等には投票価値の平等も含まれる。また、投票価値の不平等が合理性を有するとは到底考えられず、かつ合理的期間内に是正されない場合は違憲となる」とした。そして、「今回の昭和47年の衆議院議員総選挙については、約8年間是正されなかったので、合理的な期間を超えている」として、違憲とした。しかし、「違憲となる場合でも、事情判決の法理を適用して、選挙は無効とはならない」とした。(最大判昭51.4.14:衆議院議員定員不均衡訴訟①
  • 一票の較差が最大2.30倍であった平成21年の衆議院議員総選挙の定数配分が投票価値の平等に反していないか争われた。これに対し、最高裁は、「投票価値の不平等の要求に反する状態にあった」とした上で、「合理的期間内における是正がなされなかったとは言えない」として、憲法14条1項に違反しないとした。(最大判平23.3.23:衆議院議員定員不均衡訴訟②)
  • 一票の較差が最大2.129倍であった平成26年の衆議院議員総選挙の定数配分が投票価値の平等に反していないか争われた。これに対し、最高裁は、「投票価値の平等の要求に反する状態にあった」とした上で、「一人別枠方式が廃止され、選挙制度の見直しの検討がされ続けており、合理的期間内における是正がなされなかったとは言えない」として、憲法14条1項に違反しないとした。(最大判平27.11.25:衆議院議員定員不均衡訴訟③)

参議院議員定員不均衡訴訟

  • 一票の較差が最大4.86倍であった平成19年の参議院議員通常選挙の定数配分が投票価値の平等に反していないか争われた。これに対し、最高裁は、「投票価値の平等は,参議院の独自性など,国会が正当に考慮することができる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものである。そして、選挙区間における投票価値の不均衡について、平成24年に改正をしたものの、平成25年7月21日施行の参議院議員通常選挙当時において、違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあった。しかし、上記選挙までの間に、更にもう一度改正がされなかったことをもって国会の裁量権の限界を超えるものとはいえず(裁量の範囲内として仕方がないとして)、上記規定が憲法14条1項等に違反するに至っていたということはできない。 」として、配分規定が4.86:1であったとしても憲法14条1項に違反しないとした。(最大判平26.11.26:参議院議員定員不均衡訴訟)

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違憲審査権

憲法第81条
最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

違憲審査とは?

違憲審査とは、法律・命令・規則・処分が憲法に適合するか否かを審査することを言います。

憲法が最上位のルールとして君臨しており、国会で定める法律等は、憲法に違反することができません。そして、法律などが憲法に違反していないかどうかを審査するのが違憲審査で、裁判所の重要な仕事となっています。

そして、違憲審査については、付随的違憲審査制と抽象的違憲審査制の2つの考え方があります。

付随的違憲審査制

付随的違憲審査制とは、具体的な訴訟(事件)があって、その事件を審査する上で、必要な場合でのみ違憲審査を付随的に行う制度です。

例えば、Xが死刑判決を受けた場合において、「死刑制度はそもそも違憲だから、死刑を受けることはない」と主張して違憲審査を行うことです。死刑判決が具体的な事件です。

判例(最大判昭27.10.8:警察予備隊訴訟)でも、日本の違憲審査制は、付随的違憲審査制を採用していることを示しています。

つまり、裁判所は、具体的な訴訟と切り離して、憲法判断をすることはできないということです。

抽象的違憲審査制

具体的な訴訟(事件)がないけど、法律等が憲法違反ではないかと審査することです。

例えば、死刑制度はおかしいと思って、死刑制度について違憲審査を申し立てることです。日本では、上記の通り、付随的違憲審査制を採用していることから、上記のように、具体的な事件がないにも関わらず、死刑制度の違憲審査を行うことはできません。

違憲審査の対象

81条の条文では、「一切の法律、命令、規則又は処分」と書かれています。これには、「個別具体的な公権行為」も含まれます。

また、下記判例により、立法不作為条約についても違憲審査の対象と判示されています。

違憲審査に関する重要判例

  • 公職選挙法及び公職選挙法施行令で、「一定事由がある場合、投票所に行かずに、在宅等で投票することができる」という制度を定めていました。しかし、この制度の悪用により、法改正され、当該在宅投票制度が廃止され、その後、在宅投票制度を設けることはありませんでした。そして、歩行困難になり投票所にいくことができなくなったXが、在宅投票制度がない状態は、選挙人(投票を行う人)に対する投票を機会を保障する憲法15条等に違反するとして、在宅投票制度を廃止したままで、再度立法行為を行わなかった不作為により、精神的な損害を受けたとして、国家賠償法1条1項に基づいて国に損害賠償を求めた。
    これに対して最高裁は、「国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではないというべきであって、国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法1条1項の規定の適用上、違法の評価を受けないものといわなければならない。」とし、立法行為の不作為についても違憲審査を行っていることから、立法不作為も違憲審査の対象としています。また、今回の在宅投票制度を廃止して、その後復活しなかった不作為については、違法ではないとしました。(最判昭60.11.21:在宅投票制度廃止事件
  • 日本国外に在住する在外国民が、国政選挙において、投票できない制度について、当時の公職選挙法の違憲確認等と損害賠償請求の訴えがなされた。
    これに対して最高裁は、「立法の内容又は立法不作為が国民に、憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や、国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには、例外的に、国会議員の立法行為又は立法不作為は、国家賠償法1条1項の規定の適用上、違法の評価を受けるものというべき」として、今回の在外選挙制度について違憲と判示した。(最大判平17.9.14:在外日本人選挙権訴訟)

違憲判決・違憲決定とした事案

違憲判決・意見決定となった事案は、これまでに9つしかないので、すべて覚えておきましょう!

  1. 最大判昭48.4.4:尊属殺重罰規定違憲判決
  2. 最大判昭50.4.30:薬事法距離制限事件
  3. 最大判昭51.4.14、最大判昭60.7.17:衆議院議員定員不均衡訴訟
  4. 最大判昭62.4.22:森林法事件
  5. 最大判平14.9.11:郵便法免責規定違憲判決
  6. 最大判平17.9.14:在外日本人選挙権訴訟
  7. 最大判平20.6.4:国籍法3条1項違憲判決
  8. 最大決平25.9.4:非嫡出子相続分差別違憲決定
  9. 最大判平27.12.16:再婚禁止期間違憲訴訟

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権力分立

権力分立とは、国家権力をその性質に応じて各権力に区別し、異なる機関に担当させることです。1つの機関に担当させると、その機関が絶対的に支配をしてしまい、独裁国家になってしまいます。それを防ぐため(人権保障のため)、国家権力を分散させ、相互に均衡と抑制を保たせる制度が権力分立です。

例えば、「国会・内閣・裁判所」や「中央政府・地方政府」が権力分立の事例です。

三権分立

権力分立が、現代国家において、それぞれの権力が大きくなってきています。

  1. 行政国家現象(行政権が大きくなる)
  2. 政党国家現象(国会を組織する政党の力が大きくなる)
  3. 司法国家現象(司法権が大きくなる)

行政国家現象

19世紀半ば以降、資本主義が急速に発達しましたが、そのことにより、貧富の格差、労働問題が深刻化し、その結果、国民に人間らしい生活を保障するために、様々な行政サービスを提供することとなり、役人の増加や新行政部門創設など、次第に行政権が大きくなり、結果として、法の執行機関である行政府が、国の基本政策の決定・実施における中心的な役割を担う現象

政党国家現象

国民と議会の媒介組織である政党が発達し、国家意思の形成において政党が事実上の主導的役割を演じることです。議会と政府の関係が伝統的でしたが、今は政府・与党と野党の対抗関係へと変化しています。分かりやすくいうと、内閣総理大臣(行政のトップ)は国会(立法府)が指名するのですが、現実的には、総理は与党が選ぶ形になり、結果として、行政も立法も与党が主導する形になるわけです。これが政党国家現象です。

司法国家現象

裁判所による違憲審査制が導入され、司法権が議会、政府の活動をコントロールするという現象です。法治国家として裁判所が非常に重要な役割を果たすようになったことのあらわれになります。

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表現の自由(憲法21条)

憲法第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

憲法19条の思想・良心の自由は、内心の自由で、
憲法21条の表現の自由は、思想や信仰等の内心を外部に発表する自由を指します。

そして、表現の自由は思想や情報を発表し、伝達する自由ですが、情報伝達には「送り手」と「受け手」が存在します。そのため、「送り手の自由」と「受け手の自由」が存在します。

「送り手の自由」には、言論・出版の自由、集会・結社の自由、報道の自由等があり
「受け手の自由」には、知る権利、アクセス権があります。

表現の自由を支える価値

「表現の自由を支える価値」とは、分かりやすく言うと、「表現の自由を保障する理由」「表現の自由で保障すべき権利」ということです。これには2つの価値(保障理由)があります。

1.自己実現の価値

個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させる個人的な価値(権利)

2.自己統治の価値

言論活動により国民が政治意思決定に関与するという民主政治に資する社会的価値
つまり、政治に参加する価値(権利)です。

上記2つの価値(権利)を保障するために表現の自由があるということです。

言論・出版の自由

言論・出版その他一切の表現の自由を保障しており、絵画、写真、映画、音楽、演劇、テレビ等、その手段を問わず広く及びます。

集会・結社の自由

集会とは、多数人がある目的のために、一定の場所に一時的に集まることを言い、集団行動の自由(デモの自由)も含みます。

結社とは、他人数がある目的のために、団体を結成することを指し、結社の自由には、具体的に3つの自由があります。

  1. 団体を結成し、それに加入する自由
  2. 団体が活動する自由
  3. 団体を結成しない自由・加入しない事由、または、脱退する自由

知る権利(憲法で保障されている)

「知る権利」には,情報受領権と情報収集権という二つの側面があり,後者にはさらに情報収集活動が公権力により妨げられないということ(消極的情報収集権)と政府に対して情報の開示を要求する(積極的情報収集権)という二つの場合が含まれます。


アクセス権(憲法で保障されていない)

アクセス権とは、「情報の受け手である国民」が、「情報の送り手であるマスメディア」に対して、個人が意見発表の場を提供することを求める権利です。例えば、反論記事の掲載要求(反論権)や紙面・番組への参加などです。

アクセス権に関する重要判例

アクセス権については、憲法21条1項から直接導くことができないとされており(アクセス権は憲法では保障されない)、判例でも「新聞記事に取り上げられた者は、当該新聞紙を発行する者に対し、その記事の掲載により名誉毀損の不法行為が成立するかどうかとは無関係に、人格権又は条理を根拠として、右記事に対する自己の反論文を当該新聞紙に無修正かつ無料で掲載することを求めることはできない」と反論権を否定しています。(最判昭62.4.24:サンケイ新聞事件

報道の自由(憲法で保障されている)

報道は、事実を告げ知らせる行為で、報道機関の報道が、国民の知る権利に奉仕するという重要な意義を有しています。そのため、報道の自由は、憲法21条1項の表現の自由に含まれ、憲法で保障されています。

取材の自由(十分尊重に値する)

取材の自由とは、報道機関が事実を報道するために情報収集を行う自由を言い、下記の通り、判例でも、表現の自由を規定した憲法第21条の精神に照らし、十分尊重に値するものとしています。

取材の自由に関する重要判例

  • アメリカの原子力空母の佐世保港入港に反対する学生が、機動隊と衝突し、その映像をNHK福岡放送局等が撮影した。そして、福岡地裁は、放送局に対して、衝突の状況を撮影したテレビフィルムの提出を命令しました。これに対し、放送局は、憲法21条に反していると拒否して争われた。最高裁は、「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。そのため、思想の表明の自由と並んで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにある。そして、このような報道機関の報道が正しい内容をもつために、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値するものといわなければならない。」として、取材に自由について、憲法で保障されているとまではいえないが、十分尊重に値するものとしています。(最大決昭和44.11.26:博多駅フィルム提出命令事件
  • 新聞記者Xは、沖縄返還交渉に関し、日米間の密約の存在を裏付ける秘密文書の写しを持ち出すことを、外務省事務官Yに執拗に迫り、そそのかして文書の写しを入手した。これに対して、Yは、国家公務員法111条等に違反するとして争われた。これに対して、最高裁は「報道機関が取材の目的で公務員に対し秘密を漏示するようにそそのかしたからといって、そのことだけで、直ちに当該行為の違法性が推定されるものと解するのは相当ではなく、報道機関が公務員に対し根気強く執拗に説得ないし要請を続けることは、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為というべきである。」として、手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、違法性はないとしました。(最決昭53.5.31:西山記者事件)

表現の自由に関するその他の重要判例

  1. 税務署の職員が収賄容疑で夜中に逮捕されました。その翌朝に新聞朝刊で報道されました。あまりにも短時間で情報を得ていることから、裁判所か検察職員に、逮捕状執行前に新聞記者Xに情報を漏らした者がいるのではないかと、国家公務員法違反の容疑で捜査が開始されました。そして、この記事を書いたXが証人喚問されました。しかし、Xは、取材源の秘匿を理由として宣誓証言を拒み、争われた。この点について最高裁は、刑事訴訟法149条に、証言拒絶できる者を列挙しているが、記者は含まず、刑事訴訟における証言拒絶の権利まで保障したものではないとした。(最大判昭27.8.6:石井記者事件)
  2. 「夕刊和歌山時事」の経営者Xが、「夕刊和歌山時事」の中に、他社Yの「特だね新聞」の取材の仕方が恐喝まがいの取材の仕方をだと批判する記事を載せた。それに対して、Yは、Xの行為が名誉毀損にあたるとして争われた。この点について最高裁は、「刑法230の2の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法21条による正当な言論の保障との調和をはかつたものというべきであり、これら両者間の調和と均衡を考慮するならば、たとい刑法230条ノ2第1項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当」とし、真実であることを証明できない場合でも、相当の理由があるときは、名誉棄損罪は成立しないとした。(最大判昭44.6.25:夕刊和歌山時事事件)
  3. 雑誌「月刊ペン」の編集局長Xが、「大罪犯す創価学会」という記事を取り上げ、名誉棄損罪にあたるのではないかと争われた。この点について最高裁は、「私人の私生活上の行状であっても、そのたずさわる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによつては、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として、
    刑法230条の2第1項にいう『公共の利害に関する事実』にあたる場合があると解すべきである」として、名誉棄損罪に当たるとされた。(最判昭56.4.16:月刊ペン事件
  4. アメリカ人弁護士Xは、事前に法廷でメモを取っていいか日本の裁判所に許可を求めたが、不許可となった。一方、司法記者クラブ所属の報道機関の記者に対しては許可していました。そのためXは、自分に対する不許可措置は「知る権利(憲法21条)」を侵害しているとして争われた。これに対して最高裁は、「法廷で傍聴人がメモを取ることを権利として保障しているものではないが、法廷で傍聴人がメモを取ることは、その見聞する裁判を認識記憶するためにされるものである限り、憲法21条1項の精神に照らし尊重に値し、故なく妨げられてはならない。」とし、法廷での筆記行為は権利として保障されていないが、尊重に値するとした。(最大判平元.3.8:レペタ訴訟
  5. TBSの番組で、暴力団組長による債権取立ての場面が放映され、警視庁は当該組長を逮捕。その後、警視庁は、裁判所の許可を得て、関連ビデオテープをTBS本社内で差し押さえた。それに対し、TBSは、差押処分の取消しを求めて、争われた。これに対し、最高裁は、「差押の可否を決するに当たっては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、軽重等及び差し押さえるべき取材結果の証拠としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、取材結果を証拠として押収されることによって報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響その他諸般の事情比較衡量すべきであることは、明らかである」とし、本件差押は、適正迅速な捜査の遂行のためやむを得ないものであり、TBSの受ける不利益は、受忍すべきものというべきということで、ビデオテープの押収は憲法21条1項に反しないとした。(最決平2.7.9:TBSビデオテープ押収事件)
  6. 民事事件において証人となったNHK記者Xが、取材源については職業の秘密に当たることを理由に証言を拒絶して、取材源秘匿権について争われた。これに対して最高裁は、「秘密の公表によって生ずる不利益と証言の拒絶によって犠牲になる真実発見及び裁判の公正との比較衡量により決せられるというべき」として、報道関係者の取材源の秘密は、民事訴訟法197条1項3号の職業の秘密に当たるとし、証言を拒むことができるとした。(最決平18.10.3:NHK記者取材源秘匿事件)

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思想・良心の自由(憲法19条)

憲法第19条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

思想および良心とは?

思想および良心の自由とは、心の中で何を考え、何を思うかは、他人から一切干渉されない自由を言い、思想および良心の自由は、憲法で保障されています。

そして、「思想及び良心」とは、「宗教上の信仰に準ずべき世界観・人生観等個人の人格形成上確信をなすもの」と解されています。

思想および良心の保障の意味

「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」の「侵してはならない」とは、下記2つの意味があります。

  1. 国民がいかなる国家観、世界観、人生観をもとうとも、それが内心の領域にとどまる限りは絶対的に自由であり、国家権力は、①内心の思想を理由に不利益を課すことはできず、②特定の思想を禁止することもできない
  2. 国民がいかなる思想を抱いているかについて、国家権力が、その思想がどのようなものかを表明するよう強制することはできない(沈黙の自由
    例えば、江戸時代のキリスト教徒の弾圧の際に行われた「踏み絵」や、天皇制の支持・不支持について強制的に行われるアンケート調査は認められません。

思想・良心の自由に関する重要判例

  • 衆議院議員総選挙に立候補したXと、その対立候補のYがいました。
    Xは、選挙運動中に、ラジオや新聞を通じて、「Yが副知事在職中に汚職をした」事実を公表した。
    しかし、Yには、そのような汚職の事実はなく、名誉毀損を理由にXを訴え、一審、二審とも、名誉毀損を認め、Xに対して新聞に謝罪広告を掲載することを命じた。
    これに対しXは、「謝罪広告を強制することは、憲法19条の保障する良心の自由を侵害する」として、上告しました。
    最高裁は、「謝罪広告を新聞等に掲載することを命ずることは、債務者の人格を無視して、著しくその名誉を毀損して、意思決定ないし良心の自由を不当に制限するものとなる」ということは認めたうえで、「単に事態の真相を告白し、陳謝の意を表明するにとどまる程度のものであれば、これを強制したとしても、憲法19条に反するものではない」とした。(最大判昭31.7.4:謝罪広告事件
  • Xは麹町中学校に在籍中に、政治活動をしていた(麹町中全共闘と名乗り、文化祭紛争を叫んで学校内に乱入、ビラまきをしていた)。そのことが、高校受験における内申書に記載され、「基本的な生活習慣」「公共心」「自省心」の欄にC評価(三段階の最下位)を付けられた。
    その結果、Xは高校受験にすべて落ちた。これに対して、Xは、思想・良心を教育の評価対象とすることが、思想・良心の自由に反するのではないかと争われた。これに対して、
    最高裁は「内申書の記載は、Xの思想・信条そのものを記載したものでないことは明らかであり、ここに書かれた外部的行為によってXの思想、信条を了知しうるものではないし、また、Xの思想、信条自体を高等学校の入学者選抜の資料に供したものとは到底解することができないから、違憲の主張は前提を欠き、採用できない」とし、Xの請求を棄却した。つまり、「内申書に記載されていたことは単に外見的な行為にすぎず、思想信条を記載したものではない」とし、内申書に記載した内容は、思想・良心の自由に反するとはいえないとした。(最判昭63.7.15:麹町中学内申書事件
  • 市立小学校の教諭Xは、校長から「入学式の国歌斉唱の際に『君が代』のピアノ伴奏をするよう」職務命令を受けたが、Xは、職務命令に従わなかった。そのことが原因で、Xは、教育委員会から戒告処分を受けた。それに対してXは、上記命令は思想・良心の自由を定めた日本国憲法第19条に違反するとして、上記処分の取消しを求めた。これに対して、最高裁は、「Xに対して本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする本件職務命令が、直ちに上告人の有する上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないというべき」として、本件職務命令が憲法19条に違反しないとした。(最判平19.2.27:「君が代」ピアノ伴奏拒否訴訟)
  • 市立小学校の教諭Xは、校長から「君が代斉唱時に起立するよう」職務命令を受けたが、Xは、職務命令に従わなかった。そのことが原因で、Xは、教育委員会から戒告処分を受けた。それに対してXは、上記命令は思想・良心の自由を定めた日本国憲法第19条に違反するとして、上記処分の取消しを求めた。これに対して、最高裁は、「上記の起立斉唱行為は、学校の儀式的行事における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、『日の丸』や『君が代』が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたとする当該教諭の歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものではなく、上記職務命令は、その歴史観ないし世界観それ自体を否定するものとはいえない。」として、本件職務命令が憲法19条に違反しないとした。(最判平23.5.30:「君が代」起立斉唱拒否訴訟)

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