憲法

国民主権


国民主権とは、分かりやすく言うと、主権は国民が持っているということです。

主権の3つの意味

  1. 統治権:独立して国民や領土を統治する権利
  2. 最高独立性:ほかの国から支配や干渉をされず,ほかの国々と対等である権利
  3. 最高決定権:国の意思や政治のありかたを最終的に決定する権利

■ポツダム宣言8項の「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。」の中の主権は、領土を統治することを指すので、統治権を指しています。

■憲法41条の「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」の中の国権は、国民を統治することを指すので、統治権として使っています。

■憲法の前文の「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」の中の主権は、その後ろの言葉「他国と対等関係に立たうとする各国の責務」から分かるように、他の国から支配や干渉をされず,ほかの国々と対等である権利を指すので、最高独立性の意味として使っています。

■憲法の前文の「主権が国民に存することを宣言し」の主権は、国の政治について、国民が決めることを意味するので、最高決定権として使っています。

代表民主制と直接民主制

上記、主権の意味の中の一つに「最高決定権」がありました。国民が国の政治を決めるということです。それを実現するために、日本では、代表民主制を原則して、直接民主制によりそれを補完するものとしています。

代表民主制とは?

国民の中から代表者を選び、その代表者が国民に代わって政治を行う制度です。間接民主制という言い方もします。

例えば、衆議院議員を選んで、その衆議院議員が政治を行うということです。

直接民主制とは?

代表者(議員)などを介さずに、国・都道府県・市町村の意思決定に直接参加し、その意思を反映させる政治制度です。

例えば、「住民投票」や「地方公共団体の長・議員などの解職請求」は、住民が直接、地方公共団体の意思決定に参加しているので直接民主制の事例です。

<<労働基本権(憲法28条) | 権力分立>>

労働基本権(憲法28条)

憲法第28条
勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

憲法28条で、労働基本権を保障しているのですが、これは、国民一般としての権利ではなく、勤労者の立場にある者だけに保証される権利です。

そして、労働者が使用者と対等な立場で労働条件を決定するために、下記3つの権利が認められています。

  1. 団結権:労働組合を結成する権利
  2. 団体交渉権:労働組合と使用者の間で勤務条件などを交渉する権利
  3. 団体行動権:ストライキなどをする権利

これらの3つ併せて労働基本権と言います。

そして、この28条(労働基本権)の規定は、私人にも直接適用されます。例えば、労働者がストライキをした場合、労働者は働く義務を負っているにも関わらず、働いていないので、債務不履行により、使用者から損害賠償請求される可能性があります。しかし、この28条の労働基本権を直接使って、団体行動権を主張できるので、債務不履行に問われる心配もないわけです。

労働基本権に関する重要判例

  1. 「憲法第28条の労働基本権の保障は公務員に対して及ぶが、公務員の地位の特殊性職務の公共性から、一般企業とは異なる制約を受ける。」として、公務員の争議行為は国民の利益に重大な影響を及ぼすので、規制されてもやむを得ず、国家公務員法第110条第1項第17号(あおり行為等の罪)の規定は憲法に違反しない。(最大判昭48.4.25:全農林警職法事件

<<教育を受ける権利(憲法26条) | 国民主権(憲法1条)>>

教育を受ける権利(憲法26条)

憲法第26条
すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

教育は、個人が人格を形成し、社会において有意義な生活を送るために必要不可欠なものです。そのため、26条では、「等しく教育を受ける権利」と「普通教育を受けさせる義務」について定めています。

教育を受ける権利

教育を受ける権利は、子供に対して保障され、子供の学習権を保障したものと解されています。また、この学習権を保障するために、国は、教育制度を維持し、教育条件を整備すべき義務を負うとして、具体的に教育基本法などが定められ、小中学校の義務教育を中心とする教育制度が設けられています。

教育を受けさせる義務

教育を受けさせる義務は、保護者が負います。そしてこの義務の内容は普通教育(小学校・中学校の教育)であり、職業教育や専門教育の義務までは負いません。

教育権の所在(国家の教育権と国民の教育権)

「教育を受ける権利」に関して争われている問題は、下記のどちらが正当かということです。

  1. 教育内容について国が関与・決定する機能を有する説(国家の教育権
  2. 子どもの教育について責任を負うのは、親および教師を中心とする国民全体であり、国は教育の条件整備の任務を負うにとどまるとする説(国民の教育権

この点について、どちらが正当かまで決めることはできないが、判例(旭川学力テスト事件)では、国は必要かつ相当と認められる範囲で義務内容についても決定する機能を有するとしています。

義務教育の無償

無償とは、授業料が無償なのであって、教科書代などの一切の費用を無償という意味ではないとしています。(下記、教科書費国庫負担請求事件参照)

教育を受ける権利に関する重要判例

  • 最高裁は「一般に社会公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべく、また、しうる者として、憲法上は、あるいは子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有するものと解さざるをえず、これを否定すべき理由ないし根拠は、どこにもみいだせない」(最大判昭51.5.21:旭川学力テスト事件
  • 憲法第26条2項の義務教育無償化規定について、教科書の無償まで含まれるかが争われた。この点について最高裁は、「公立小学校の教科書代を父兄に負担させることは、憲法第26条第2項後段の規定に違反しない。」として、教科書の無償までは憲法で保障されていないとしました。(最判大昭39.2.26:教科書費国庫負担請求事件)

<<生存権(憲法25条) | 労働基本権(憲法28条)>>

生存権(憲法25条)プログラム規定説・抽象的権利説・具体的権利説

憲法第25条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

日本国憲法は、生存権(25条)、教育を受ける権利(26条)、勤労の権利(27条)、労働基本権(28条)という社会権を保障しています。

そして、この25条(生存権)は、国民が誰でも、人間的な生活を送ることができることを権利として宣言したものです。上記第1項の趣旨を実現するために、第2項は、国に生存権の具体化について努力する義務を課しています。それを受けて、具体的に生活保護法や児童福祉法、身体障害者福祉法、国民年金法、国民健康保険法等の社会保障制度が設けられています。

プログラム規定説(判例:食糧管理法違反事件)

まず初めに問題になるのが、生存権に「法的権利性」があるかどうかです。

一つの考え方として、「プログラム規定説」という考え方があります。この考え方によると、生存権は、上記の通り、25条によって、国民が最低限度の生活を営むことができるように国に対して努力するよう要求しているだけであって、国民は国に対して「具体的な措置を講ずるよう請求できる権利」はありません(=法的権利性なし、法的権利性を否定した考え方)。

つまり、国が自主的に、生存権の保障のために、法律を作りなさいよ!と憲法25条で定めているだけだということです。具体的な法律の定めることは国の自由な裁量権に委ねられることになります。

さらに、プログラム規定説によると、「国民に対する具体的な請求権」もなければ、「国が法律を定める義務」もないため、生存権に基づいて訴えを提起することはできません(裁判規範性なし)。

抽象的権利説と具体的権利説

これに対して、生存権について「法的権利性を肯定する」見解もあります。つまり、25条は国に対して、国民が最低限度の生活が送れるための法律を定めること、またそのための予算を付けることを法的義務としている考え方です。この考え方をするのが「抽象的権利説」と「具体的権利説」です。どちらも、法的権利性はあります。違いは裁判規範性があるかどうかです。言い換えると、生存権に基づいて、裁判で争えるかどうかです。

そして、判例では、生存権は、プログラム規定説を採用しています。

抽象的権利説

抽象的権利説とは、生存権は25条に基づいて訴えを起こすことができず(裁判規範性なし)、具体化する法律があって初めて訴えを起こすことができる(裁判規範性あり)という考え方です。

上記2項のように、生活保護法などの法律違反がある場合に限って、その法律違反に基づいて訴訟提起できるということです。言い換えると、生存権は抽象的な権利であるため、生存権に違反するからといって訴訟提起はできないということです。

具体的権利説

具体的権利説とは、生存権は憲法25条で保障されている具体的な権利だから、法律がなくても、直接25条に基づいて訴訟提起できる裁判規範性あり)という考え方です。

上記の2項のように生活保護法等の法律がなくても、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有していない場合、25条の生存権侵害を理由に訴訟提起できるという考え方です。しかし、判例では、具体的権利説は採用していません。

生存権に関する重要判例

  • 『第25条第2項において、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定しているのは、社会生活の推移に伴う積極主義の政治である社会的施設の拡充増強に努力すべきことを国家の任務の一つとして宣言したものである。そして、同条第1項は、同様に積極主義の政治として、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう国政を運営すべきことを国家の責務として宣言したものである。それは、主として社会的立法の制定及びその実施によるべきであるが、かかる生活水準の確保向上もまた国家の任務の一つとせられたのである。すなわち、国家は、国民一般に対して概括的にかかる責務を負担しこれを国政上の任務としたのであるけれども、個々の国民に対して具体的、現実的にかかる義務を有するのではない。言い換えれば、この規定により直接に個々の国民は、国家に対して具体的、現実的にかかる権利を有するものではない。社会的立法及び社会的施設の創造拡充に従って、始めて個々の国民の具体的、現実的の生活権は設定充実せられてゆくのである。』として、25条がプログラム規定説であることを示した。(最大判昭23.9.29:食糧管理法違反事件)
  • 結核を患っていたXが生活保護法に基づく医療扶助及び生活扶助を受けていました。しかし、Xの兄からの仕送りがあることを理由に、扶助打ち切りとなり、争られた。
    これに対して最高裁は、「憲法25条1項はすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に具体的権利を賦与したものではない」とし、25条の法的権利性を否定している点では、プログラム規定説を採用しています。
    一方で、「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、厚生大臣の合目的な裁量に委されてる。そしてその判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあっても、裁量の逸脱と濫用がある場合以外は、違法の問題は生じない」として
    裁量権の著しい逸脱がある場合、司法審査の可能性を認めるということから「裁判規範性を肯定」しています。そのため、「裁判規範性あり」という点では、プログラム規定説には当てはまらないので、25条は、完全なプログラム規定説ではないと解されています。(最大判昭42.5.24:朝日訴訟
  • 障害年金を受給していた者が、子を育てていたため、児童扶養手当の受給申請をした。
    しかし、障害年金と児童扶養手当を同時に受給することはできない併給禁止の規定があり、申請が却下され、争われた。
    これに対して最高裁は、
    「憲法25条の『健康で文化的な最低限度の生活』とは、きわめて抽象的・相対的な概念であり、立法による具体化が必要であり、具体的な立法措置を講ずるかの選択決定は、多方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものであり、立法府の広い裁量に委ねられている。」として25条の法的権利性は否定した。
    また一方で、「立法府の措置が著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない」として、裁量の逸脱・濫用の場合は、司法審査の対象となるとのことなので、裁判規範性ありと判断しました。そのため、『朝日訴訟』同様、プログラム規定説ではあるが、裁判規範性はあると解釈しました。(最大判昭57.7.7:堀木訴訟

<<職業選択の自由(憲法22条) | 教育を受ける権利(憲法26条)>>

職業選択の自由(憲法22条)消極目的規制と積極目的規制

憲法第22条
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

職業選択の自由とは、「自己が従事する職業を決定する自由」だけでなく、「選択した職業を遂行する自由」すなわち営業の自由も含まれます。選択した職業を遂行する自由を保障しなければ、選択の自由が無意味になるからです。

消極目的規制と積極目的規制

職業選択の自由、営業の自由といっても、誰でも医者やパイロットになれるわけではないように、公共の福祉による規制を受けます。つまり、誰でも医師になれたり、パイロットになれたら、人が死亡するリスクが高くなるので、国の法律によって一定の制限を加えることは許されるということです。

そして、この制限には、規制目的に応じて、2つの規制があります。

消極目的規制

消極目的規制とは、国民の生命や健康に対する危険を防止・除去・緩和するために課せられる規制です。分かりやすくいえば、国民の命や健康を守るために必要な規制です。

例えば、医師になるためには、医師免許が必要です。この医師免許は国民の命を守るために必要な規制と言えます。

規制については、最小限の規制で目的を達成させるように努める必要があります。

そのため、規制の審査基準はおのずと厳しくなります。(裁判所のチェックは厳しい)

積極目的規制

積極目的規制とは、福祉国家の理念に基づいて、経済の調和のとれた発展を確保し、特に社会的・経済的弱者を保護するためになされる規制です。

例えば、電気・ガス・鉄道・バス事業の特許制です。これらの内容は、日常生活に直結することで、誰でも営業できるようにして値段が上がってしまうと経済的弱者が困ってしまいます。そのため特許制にして、事業参入に一定の規制をかけているわけです。

社会的・経済的弱者のための規制ということは、社会的・経済的弱者を救うための政策とも言えます。そのため、積極目的規制については、審査基準は緩いです。(裁判所のチェックは緩い)

そのため、著しく不合理でない限り合憲となります。

職業選択の自由に関する重要判例

  • 小売市場を開設するためには、許可が必要であり、その許可基準に「小売市場間に700mの距離制限」を設けていました。つまり、開設しようとする小売市場の半径700mに別の小売市場があった場合、不許可になるわけです。そこで、この規制は、職業選択の自由(営業の自由)を制限するため違憲ではないかと争われた。
    この点について最高裁は、「小売市場間の距離規制は、小売市場の乱設に伴う小売商相互間の過当競争によつて招来されるであろう小売商の共倒れから小売商を保護するためにとられた措置であると認められ、一般消費者の利益を犠牲にして、小売商に対し積極的に流通市場における独占的利益を付与するためのものでないことが明らかである」として、積極目的規制であることを示した。その上で、「上記距離規制の手段・態様においても、それが著しく不合理であることが明白であるとは認められない」として、小売市場の距離規制は憲法22条1項に違反しないとした(合憲)。(最大判昭47.11.22:小売市場距離制限事件
  • Xは、新たに薬局を開設するために知事に許可申請を行ったが、知事は薬事法が定める距離制限に抵触するとして不許可処分をした。
    そのため、薬事法の距離制限は憲法22条に違反するのではないかと争われた。
    この点について最高裁は、「薬事法の距離制限の目的は国民の生命や健康上の危険を防止する」として消極的、警察的目的の規制であることを示した。その上で、その手段として距離制限を設けることは、必要かつ合理的な規制とはいえない。よって違憲であるとした。(最大判昭50.4.30:薬事法距離制限事件
  • 公衆浴場法2条に公衆浴場の開設するためには、他の公衆浴場から一定距離は離さなければならないという適性配置の制限(距離制限)がある。これについて、憲法22条に違反するのではないかと争われた。
    この点について最高裁は、「公衆浴場の配置の距離制限の規制の目的は、国民保健と衛生の確保という消極目的規制と、自宅に風呂を持たない国民にとって必要不可欠な厚生施設の確保(経営困難による転廃業を防止)という積極目的規制の2つの目的を有する」としました。そして、本規定は、目的を達成するための必要かつ、合理的な範囲内の手段として、公衆浴場法の距離制限の規定は合憲とされた。(最判平元.3.7:公衆浴場距離制限事件)
  • 酒類販売業を営もうとするXが、税務署長に対して、酒類販売業の免許申請をしたが、酒税法10条の「その経営基盤が薄弱であると認められる場合」に該当するものとして、この免許処分の拒否処分をしました。これに対してXは、酒類販売業の免許制を定めた酒税法10条10号の規定が憲法22条1項に違反するのではないかと争われた。
    これに対して最高裁は、「酒税法が酒類販売業につき免許制を採用したのは、納税義務者である酒類製造者に酒類の販売代金を確実に回収させ、最終的な担税者である消費者に対する税負担の円滑な転嫁を実現することを目的として、これを阻害するおそれのある酒類販売業者の酒類の流通過程への参入を抑制し、酒税の適正かつ確実な賦課徴収という重要な公共の利益を図ろうとしたもので、酒税の徴収のため酒類販売業免許制を存置させていたことが、立法府の政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するもので著しく不合理であるとまで断定することはできない」として、合憲と判断しました。(最判平4.12.15:酒類販売の免許制

<<居住・移転の自由、海外渡航の自由、国籍離脱の自由(憲法22条) | 生存権(憲法25条)>>

学問の自由(憲法23条)

憲法第23条
学問の自由は、これを保障する。

明治憲法の時代には学問の自由が国家権力によって侵害されていました。これを踏まえて日本国憲法では、学問の自由を条文に規定して保障しております。

学問の自由の内容

  1. 学問研究の自由
  2. 研究発表の自由
  3. 教授の自由

学問研究の自由

何を研究するかは自由である。ただし、核物質の研究やヒトの遺伝子操作の研究等、反倫理的な内容について一定の制限があると考えられています。

そして、日本では、「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」によって、罰則を設けて、一部の研究活動を規制しています。

研究発表の自由

研究の成果は発表されることによって初めて価値を持ち、発表できなければ無意味です。したがって、研究発表の自由も当然に認められます。

教授の自由

分かりやすく言えば「教師が教える自由」です。そして、ここでいう教授の自由は、大学における教授の自由を指し、小学校、中学校、高校において教師に教授の自由が認められるかが問題となります。この点については、旭川学力テスト事件の判例を参考にしてください。

大学の自治

学問は、大学で発展してきたことから、大学における学問研究の自主性確保のために、特に大学の自治が認められています。

大学の自治とは、①大学の人事②大学の施設・学生の管理といった大学の内部行政については、大学の自主的な決定に任せ国による干渉は許されないということです。

そして、大学の自治に関する「東大ポポロ事件」の判例が重要なので、下記で確認しておきましょう。

学問の自由に関する重要判例

  • 文部省の指示によって全国の中学2年、3年生を対象に一斉学力調査(学力テスト)が行われた。これに反対する教師が、学力テストの反対運動を行い、この行為が「教授の自由」として、保障されているかが争われた。
    この点について最高裁は「①小中高校においても、一定の範囲における教授の自由が保障されるべき」としつつも「②教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること等を考慮すると、小中高校(普通教育)における教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されない」とした。(最大判昭51.5.21:旭川学力テスト事件
  • 東京大学の学生団体「ポポロ劇団」が松川事件を題材とする演劇を行っていた。この松川事件とは、国鉄の労働組合が、国鉄への反発として、機関車を脱線させた事件で、社会的な事件と言えます。このようなテーマを題材として演劇を行っているため、警察は、大学の正式な許可を得て大学の教室内で客としてみていた。この演劇を発表している際、観客の中に私服警官がいるのを学生が発見し、学生が警官の身柄を拘束し、警察手帳を奪いました。学生は、大学の自治を主張して争われた。これに対して最高裁は、「演劇発表会が学問研究のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動であり、かつ公開の集会またはこれに準じるものであつて、大学の学問の自由と自治は、これを享受しない」として、集会に警察官が立ち入ったことは、「大学の学問の自由」と「大学の自治」を侵害する行為ではないとしました。(最大判昭38.5.22:東大ポポロ事件

<<政教分離(憲法20条1項、3項) | 居住・移転の自由、海外渡航の自由、国籍離脱の自由(憲法22条)>>

政教分離(憲法20条1項、3項)

政教分離の原則

憲法第20条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

下記、憲法20条の1項後段では、「宗教団体が、国から特別優遇措置を受けること」と「宗教団体が、政治上の権力を行使すること」を禁止しています。

また、憲法20条3項では、「国自身が、宗教教育をすること」と「国自身が宗教活動行うこと」を禁止しています。

つまり、政治(国家)と宗教は別々であること(国家の宗教的中立性)を明らかにしています(政教分離の原則)。

制度的保障

制度的保障とは、憲法上の規定において、個人の権利を直接保障するのではなく、一定の制度が保障することにより、間接的に国民の権利が保障されることを言います。

そして、たとえば、「政教分離原則は、制度的保障」と判例(下記、津地鎮祭事件)では言っています。政教分離原則は人権保障規定そのものではなく(直接個人の権利を保障しているのではなく)、政教分離原則により、間接的に、信教の自由を保障しようとしています。これが制度的保障です。

政教分離の限界(目的効果基準)

政教分離が原則といっても、国家が宗教に一切かかわらないということは、現実的に不可能です。例えば、日本各地の重要文化財となっている神社については、その保存費用は、国が支出しています。つまり、国家と宗教の関わり合いはある程度は許されているのですが、どこまで許されているのかが問題になってきます。

この点について最高裁は1つの基準として目的効果基準を採用しています。

目的効果基準とは?

目的効果基準とは、下記2つの基準について、どちらも満たす場合は、政教分離原則違反が認定されるということです。

  1. 行為の目的が宗教的意義を持つかどうか?
  2. その行為の結果(効果)が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるかどうか?

これは、下記、津地鎮祭事件の判例をご覧ください。

政教分離原則の重要判例

  • 三重県津市が、市の体育館の建設にあたって、土地を清めたり、神様に土地の利用を許してもらうための地鎮祭(起工式)を行った。この地鎮祭(起工式)に際して、神社にお金を支払ったのですが、そのお金が公金でした。これに対して、地鎮祭の費用を公金から支出することは、憲法20条3項で禁止されている「宗教的活動」にあたるのではないかと争われた。
    これに対して最高裁は、
    「①政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的および効果にかんがみ、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものである
    ②憲法20条3項で禁止されている「宗教的活動」とは、国およびその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該(1)行為の目的が宗教的意義をもち、(2)その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉等になるような行為をいう。そして、本件起工式は、宗教とかかわり合いをもつものであることを否定しえないが、その目的は建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従った儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進しまたは他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないのであるから、憲法20条3項により禁止される「宗教的活動」にはあたらない。」つまり、目的効果基準の(2)に当たらないから、政教分離原則に違反してはいないと結論づけた。地鎮祭(起工式)は合憲最大判昭52.7.13:津地鎮祭事件
  • 愛媛県は、靖国神社に対し玉串料(神社に祈祷を依頼する際に納めるお金のことです)を、公金から支出した。これに対して、憲法20条3項で禁止されている「宗教的活動」にあたるのではないかと争われた。
    これに対して最高裁は、
    「県が本件玉串料等を靖国神社に奉納したことは、その目的が宗教的意義を持つことを免れずその効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になると認めるべきであり、これによってもたらされる県と靖国神社とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものであって、憲法20条3項の禁止する宗教的活動に当たると解するのが相当である。」として、政教分離原則に違反するとした。つまり、玉串料の奉納は違憲ということです。(最大判平9.4.2:愛媛県玉串料事件
  • 箕面市の所有地に忠魂碑という戦死者の遺族会が所有する記念碑があった。この忠魂碑を移転し、その土地を小学校用地として使用するため、箕面市は、公金を使って、移転のための土地を購入し、そこに忠魂碑を移転・再建しました。これが、憲法20条3項に禁ずる「宗教的行為」であるとして争われた。
    この点について最高裁は「市遺族会は、戦没者遺族の相互扶助・福祉向上と英霊の顕彰を主たる目的として設立され活動している団体であって、その事業の一つに、神式又は仏式による慰霊祭の挙行、神社の参拝等の宗教的色彩を帯びた行事をも実施しているが、右行事の実施は、遺族会の本来の目的として、特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行おうとするものではなく、その会員が戦没者の遺族であることにかんがみ、戦没者の慰霊、追悼、顕彰のための右行事等を行うことが、会員の要望に沿うものであるとして行われていることが明らかである。そのため、遺族会は、憲法20条1項後段にいう「宗教団体」、憲法89条にいう「宗教上の組織若しくは団体」に該当しない。」として、政教分離原則に違反せず、合憲とした。(最判平5.2.16:箕面忠魂碑事件
  • 北海道砂川市が神社に土地を無償で提供していたことが、政教分離原則に違反しているのではないかと争われた。
    この点について最高裁は、
    「利用提供行為は、市と本件神社ないし神道とのかかわり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとして、憲法89条の禁止する公の財産の利用提供に当たり、ひいては憲法20条1項後段の禁止する宗教団体に対する特権の付与にも該当すると解するのが相当である。」として、市が神社に無償で土地を提供する行為は違憲だと判断した。(最大判平22.1.20:砂川政教分離訴訟)

<<信教の自由(憲法20条) | 学問の自由(憲法23条)>>

信教の自由(憲法20条)

憲法第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
信教の自由は、明治憲法でも規定されており、保障されていました。しかし、実際は、靖国神社を中心とする神道・神社が国教として扱われ優遇され、キリスト教のように弾圧された宗教もありました。そのような過去を踏まえて、日本国憲法では、個人の信教の自由を厚く保護しています。

信教の自由の内容

信教の自由には、下記3つがあります。下記3つは憲法20条で保障されています。
  1. 信仰の自由(特定の宗教を信じる自由、信仰を変える自由)
  2. 宗教的行為の自由(礼拝、祈祷等を行う自由、布教の自由)
  3. 宗教的結社の自由(宗教団体を設立する自由、宗教団体に加入する自由)
また、上記3つをしない自由も憲法20条によって保障されています。

信教の自由の限界

誰もが信教の自由を有することから、他人の人権と衝突することもあり得ます。そのため、上記の「宗教的行為の自由」と「宗教的結社の自由」の2つは、「公共の福祉」による制限を受ける場合があります。しかし、信教の自由は内心に関わることなので、その規制に対して、慎重でなければなりません。

公共の福祉とは?

日本国憲法は第12条の後半で次のように定めています。
憲法12条 国民は,これ(憲法で規定されている自由や権利:基本的人権)を濫用してはならないのであって,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
つまり、分かりやすくいうと、基本的人権は自分ひとりだけのものではないので、わたしたち国民は、他人の権利を侵害するような権利の使い方(=権利の濫用)をしてはいけません。国民には,社会全体がよくなる(=公共の福祉)ように、権利を利用する責任があるということです。 よって、「公共の福祉による制限」とは、社会全体がよくなるように、権利濫用を防ぐための規制ということです。 この点については、下記「オウム真理教解散命令事件」の判例を参考にしてみてください。

信教の自由に関する重要判例

  • 学生Xは、「エホバの証人」という宗教を信仰しており、宗教上の理由から、体育の剣道実技の授業の参加を拒否し、レポート提出等の代替措置を求めました。しかし、校長らはこれを認めず、体育の成績が認定されず、2年連続で留年(原級留置処分)となり、結果として、学則に従って退学処分となった。このことについて、学校教育における信教の自由の保障が争われた。 この点について最高裁は、「学生は、信仰の核心部分と密接に関連する真しな理由から履修を拒否したものであり、他の体育種目の履修は拒否しておらず、他の科目では成績優秀であった上、右各処分は、同人に重大な不利益を及ぼし、これを避けるためにはその信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせるという性質を有するものであり、同人がレポート提出等の代替措置を認めて欲しい旨申し入れていたのに対し、学校側は、代替措置が不可能というわけでもないのに、これにつき何ら検討することもなく、右申入れを一切拒否したなど判示の事情の下においては、右各処分は、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超える違法なものというべきである。」として、レポート提出等他の手段が可能なのに、他の手段について何も検討することなく、留年・退学処分としたことは、裁量権の範囲を超え、違法だとした(最判平8.3.8.:エホバの証人剣道受講拒否事件
  • オウム真理教は、大量殺人を目的とした地下鉄サリン事件を起こした。この事件を受けて、オウム真理教に対する解散命令が出され、この解散命令が、宗教的結社の自由に対する制限ではないかと争われた。 この点について最高裁は、「解散命令によって宗教法人が解散しても、信者は法人格を有しない宗教団体を存続させ、あるいは、新たにこれを結成することは妨げられるわけではない。すなわち、解散命令は、信者の宗教上の行為を禁止したり制限したりする法的効果を一切伴わないのである。 ・・・・解散により、これらの財産を用いて信者らが行っていた宗教上の行為を継続するのに何らかの支障を生ずることがあり得る。このように、宗教法人に関する法的規制が、信者の宗教上の行為を法的に制約する効果を伴わないとしても、これに何らかの支障を生じさせることがあるとするならば、憲法の保障する精神的自由の一つとしての信教の自由の重要性に思いを致し、憲法がそのような規制を許容するものであるかどうかを慎重に吟味しなければならない。」 として、合憲だけれども、オウム真理教の解散により、宗教上の行為に支障が生じることもあるから、制限をかける場合は、慎重に吟味する必要性を主張した。(最決平8.1.30:オウム真理教解散命令事件
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事前抑制と検閲(憲法21条2項)

事前抑制

事前抑制の禁止というのは、何らかの表現物を発表しようとするときに、 事前にその発表を差し止めることです。事前に差し止められると、その表現内容が世の中に出てこないので、表現の自由が侵害されることになります。そのため、事前抑制は、原則禁止されています。ただし例外として、事前抑制が認められる場合もあります。下記、北方ジャーナル事件の判例では、「厳格かつ明確な要件のもと」では、事前抑制が許されるとしています。

検閲

憲法第21条2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
そして、事前抑制の中の一つに「検閲:けんえつ」があります。 検閲とは、下記6つの要件を満たすものを言います。
  1. 行政権が主体となって、
  2. 思想内容等の表現物を対象とし、
  3. 表現物の一部または全部の発表を禁止する目的で、
  4. 対象とされる表現物を網羅的一般的に、
  5. 発表前に審査した上、
  6. 不適当と認めるものの発表を禁止すること

事前抑制と検閲の違い

上記検閲の要件の中で特に重要な要件は、検閲の主体は「行政権」であることです。 下記北方ジャーナル事件では、「裁判所(司法権)」が主体となっているので、検閲に当たりません。 そして、検閲は、例外を許さない絶対的禁止となっています。

事前抑制と検閲の関係図

事前抑制と検閲に関する重要判例

  • 外国から輸入しようした表現物が、税関長から通知があった「関税定率法に定める輸入禁止品」に該当するとして、輸入できなかった。この通知が日本国憲法第21条2項の検閲の禁止に違反するとして、争われた。この点について最高裁は、「輸入が禁止される表現物は、一般に、国外においては既に発表済みのものであつて、その輸入を禁止したからといつて、それは、当該表現物につき、事前に発表そのものを一切禁止するというものではない。また、当該表現物は、輸入が禁止されるだけであつて、税関により没収、廃棄されるわけではないから、発表の機会が全面的に奪われてしまうというわけのものでもない」として、上記要件5、6(発表前に発表を禁止する)を満たさないため、「検閲」にあたらないとした。(最大判昭59.12.12:税関検査事件
  • 雑誌「北方ジャーナル」の出版社Xは、雑誌「北方ジャーナル」の中で、知事選挙に立候補予定のYの名誉を傷つけるような記事を掲載する予定でした。それに対し、Yは裁判所に、同記事の印刷・販売等の差止めを求める仮処分を申請したところ、認められました。結果として、出版・販売等を行うことができなくなった出版社Xは、検閲および事前抑制にあたり、表現の自由を侵害だと主張して争われた。これに対して最高裁は、「憲法21条2項で禁止される「検閲」とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部または一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指す。そして、裁判所の仮処分による事前差止めは、表現物の内容の網羅的一般的な審査に基づく事前規制が行政機関によりそれ自体を目的として行われる場合とは異なり、個別的な私人間の紛争について、司法裁判所により、当事者の申請に基づき差止請求権等の私法上の被保全権利の存否、保全の必要性の有無を審理判断して発せられるものであって、『検閲』には当たらない。とした。また、この判例で、「事前抑制は、表現の自由を保障し検閲を禁止する憲法21条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうるものといわなければならない。」とも示している。(最大判昭61.6.11:北方ジャーナル事件
  • 家永らが執筆した『新日本史』という本が教科書検定で不合格とされ、検閲の禁止に違反しているのではないかと争われた。この点について最高裁は、「教科書検定は、教科書として採用するか否かの判断に過ぎず、採用されないとしても、一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないため検閲にあたらず、憲法21条2項に違反しない」、表現の自由を制限するものではないと判断しました。(最判平5.3.16:第一次家永教科書事件
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表現の自由(憲法21条)

憲法第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
憲法19条の思想・良心の自由は、内心の自由で、 憲法21条の表現の自由は、思想や信仰等の内心を外部に発表する自由を指します。 そして、表現の自由は思想や情報を発表し、伝達する自由ですが、情報伝達には「送り手」と「受け手」が存在します。そのため、「送り手の自由」と「受け手の自由」が存在します。 「送り手の自由」には、言論・出版の自由、集会・結社の自由、報道の自由等があり 「受け手の自由」には、知る権利、アクセス権があります。

表現の自由を支える価値

「表現の自由を支える価値」とは、分かりやすく言うと、「表現の自由を保障する理由」「表現の自由で保障すべき権利」ということです。これには2つの価値(保障理由)があります。

1.自己実現の価値

個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させる個人的な価値(権利)

2.自己統治の価値

言論活動により国民が政治意思決定に関与するという民主政治に資する社会的価値 つまり、政治に参加する価値(権利)です。 上記2つの価値(権利)を保障するために表現の自由があるということです。

言論・出版の自由

言論・出版その他一切の表現の自由を保障しており、絵画、写真、映画、音楽、演劇、テレビ等、その手段を問わず広く及びます。

集会・結社の自由

集会とは、多数人がある目的のために、一定の場所に一時的に集まることを言い、集団行動の自由(デモの自由)も含みます。 結社とは、他人数がある目的のために、団体を結成することを指し、結社の自由には、具体的に3つの自由があります。
  1. 団体を結成し、それに加入する自由
  2. 団体が活動する自由
  3. 団体を結成しない自由・加入しない事由、または、脱退する自由

知る権利(憲法で保障されている)

「知る権利」には,情報受領権と情報収集権という二つの側面があり,後者にはさらに情報収集活動が公権力により妨げられないということ(消極的情報収集権)と政府に対して情報の開示を要求する(積極的情報収集権)という二つの場合が含まれます。

アクセス権(憲法で保障されていない)

アクセス権とは、「情報の受け手である国民」が、「情報の送り手であるマスメディア」に対して、個人が意見発表の場を提供することを求める権利です。例えば、反論記事の掲載要求(反論権)や紙面・番組への参加などです。

アクセス権に関する重要判例

アクセス権については、憲法21条1項から直接導くことができないとされており(アクセス権は憲法では保障されない)、判例でも「新聞記事に取り上げられた者は、当該新聞紙を発行する者に対し、その記事の掲載により名誉毀損の不法行為が成立するかどうかとは無関係に、人格権又は条理を根拠として、右記事に対する自己の反論文を当該新聞紙に無修正かつ無料で掲載することを求めることはできない」と反論権を否定しています。(最判昭62.4.24:サンケイ新聞事件

報道の自由(憲法で保障されている)

報道は、事実を告げ知らせる行為で、報道機関の報道が、国民の知る権利に奉仕するという重要な意義を有しています。そのため、報道の自由は、憲法21条1項の表現の自由に含まれ、憲法で保障されています。

取材の自由(十分尊重に値する)

取材の自由とは、報道機関が事実を報道するために情報収集を行う自由を言い、下記の通り、判例でも、表現の自由を規定した憲法第21条の精神に照らし、十分尊重に値するものとしています。

取材の自由に関する重要判例

  • アメリカの原子力空母の佐世保港入港に反対する学生が、機動隊と衝突し、その映像をNHK福岡放送局等が撮影した。そして、福岡地裁は、放送局に対して、衝突の状況を撮影したテレビフィルムの提出を命令しました。これに対し、放送局は、憲法21条に反していると拒否して争われた。最高裁は、「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。そのため、思想の表明の自由と並んで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにある。そして、このような報道機関の報道が正しい内容をもつために、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値するものといわなければならない。」として、取材に自由について、憲法で保障されているとまではいえないが、十分尊重に値するものとしています。(最大決昭和44.11.26:博多駅フィルム提出命令事件
  • 新聞記者Xは、沖縄返還交渉に関し、日米間の密約の存在を裏付ける秘密文書の写しを持ち出すことを、外務省事務官Yに執拗に迫り、そそのかして文書の写しを入手した。これに対して、Yは、国家公務員法111条等に違反するとして争われた。これに対して、最高裁は「報道機関が取材の目的で公務員に対し秘密を漏示するようにそそのかしたからといって、そのことだけで、直ちに当該行為の違法性が推定されるものと解するのは相当ではなく、報道機関が公務員に対し根気強く執拗に説得ないし要請を続けることは、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為というべきである。」として、手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、違法性はないとしました。(最決昭53.5.31:西山記者事件)

表現の自由に関するその他の重要判例

  1. 税務署の職員が収賄容疑で夜中に逮捕されました。その翌朝に新聞朝刊で報道されました。あまりにも短時間で情報を得ていることから、裁判所か検察職員に、逮捕状執行前に新聞記者Xに情報を漏らした者がいるのではないかと、国家公務員法違反の容疑で捜査が開始されました。そして、この記事を書いたXが証人喚問されました。しかし、Xは、取材源の秘匿を理由として宣誓証言を拒み、争われた。この点について最高裁は、刑事訴訟法149条に、証言拒絶できる者を列挙しているが、記者は含まず、刑事訴訟における証言拒絶の権利まで保障したものではないとした。(最大判昭27.8.6:石井記者事件)
  2. 「夕刊和歌山時事」の経営者Xが、「夕刊和歌山時事」の中に、他社Yの「特だね新聞」の取材の仕方が恐喝まがいの取材の仕方をだと批判する記事を載せた。それに対して、Yは、Xの行為が名誉毀損にあたるとして争われた。この点について最高裁は、「刑法230の2の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法21条による正当な言論の保障との調和をはかつたものというべきであり、これら両者間の調和と均衡を考慮するならば、たとい刑法230条ノ2第1項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当」とし、真実であることを証明できない場合でも、相当の理由があるときは、名誉棄損罪は成立しないとした。(最大判昭44.6.25:夕刊和歌山時事事件)
  3. 雑誌「月刊ペン」の編集局長Xが、「大罪犯す創価学会」という記事を取り上げ、名誉棄損罪にあたるのではないかと争われた。この点について最高裁は、「私人の私生活上の行状であっても、そのたずさわる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによつては、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として、 刑法230条の2第1項にいう『公共の利害に関する事実』にあたる場合があると解すべきである」として、名誉棄損罪に当たるとされた。(最判昭56.4.16:月刊ペン事件
  4. アメリカ人弁護士Xは、事前に法廷でメモを取っていいか日本の裁判所に許可を求めたが、不許可となった。一方、司法記者クラブ所属の報道機関の記者に対しては許可していました。そのためXは、自分に対する不許可措置は「知る権利(憲法21条)」を侵害しているとして争われた。これに対して最高裁は、「法廷で傍聴人がメモを取ることを権利として保障しているものではないが、法廷で傍聴人がメモを取ることは、その見聞する裁判を認識記憶するためにされるものである限り、憲法21条1項の精神に照らし尊重に値し、故なく妨げられてはならない。」とし、法廷での筆記行為は権利として保障されていないが、尊重に値するとした。(最大判平元.3.8:レペタ訴訟
  5. TBSの番組で、暴力団組長による債権取立ての場面が放映され、警視庁は当該組長を逮捕。その後、警視庁は、裁判所の許可を得て、関連ビデオテープをTBS本社内で差し押さえた。それに対し、TBSは、差押処分の取消しを求めて、争われた。これに対し、最高裁は、「差押の可否を決するに当たっては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、軽重等及び差し押さえるべき取材結果の証拠としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、取材結果を証拠として押収されることによって報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響その他諸般の事情比較衡量すべきであることは、明らかである」とし、本件差押は、適正迅速な捜査の遂行のためやむを得ないものであり、TBSの受ける不利益は、受忍すべきものというべきということで、ビデオテープの押収は憲法21条1項に反しないとした。(最決平2.7.9:TBSビデオテープ押収事件)
  6. 民事事件において証人となったNHK記者Xが、取材源については職業の秘密に当たることを理由に証言を拒絶して、取材源秘匿権について争われた。これに対して最高裁は、「秘密の公表によって生ずる不利益と証言の拒絶によって犠牲になる真実発見及び裁判の公正との比較衡量により決せられるというべき」として、報道関係者の取材源の秘密は、民事訴訟法197条1項3号の職業の秘密に当たるとし、証言を拒むことができるとした。(最決平18.10.3:NHK記者取材源秘匿事件)
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