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生存権(憲法25条)プログラム規定説・抽象的権利説・具体的権利説

憲法第25条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

日本国憲法は、生存権(25条)、教育を受ける権利(26条)、勤労の権利(27条)、労働基本権(28条)という社会権を保障しています。

そして、この25条(生存権)は、国民が誰でも、人間的な生活を送ることができることを権利として宣言したものです。上記第1項の趣旨を実現するために、第2項は、国に生存権の具体化について努力する義務を課しています。それを受けて、具体的に生活保護法や児童福祉法、身体障害者福祉法、国民年金法、国民健康保険法等の社会保障制度が設けられています。

プログラム規定説(判例:食糧管理法違反事件)

まず初めに問題になるのが、生存権に「法的権利性」があるかどうかです。

一つの考え方として、「プログラム規定説」という考え方があります。この考え方によると、生存権は、上記の通り、25条によって、国民が最低限度の生活を営むことができるように国に対して努力するよう要求しているだけであって、国民は国に対して「具体的な措置を講ずるよう請求できる権利」はありません(=法的権利性なし、法的権利性を否定した考え方)。

つまり、国が自主的に、生存権の保障のために、法律を作りなさいよ!と憲法25条で定めているだけだということです。具体的な法律の定めることは国の自由な裁量権に委ねられることになります。

さらに、プログラム規定説によると、「国民に対する具体的な請求権」もなければ、「国が法律を定める義務」もないため、生存権に基づいて訴えを提起することはできません(裁判規範性なし)。

抽象的権利説と具体的権利説

これに対して、生存権について「法的権利性を肯定する」見解もあります。つまり、25条は国に対して、国民が最低限度の生活が送れるための法律を定めること、またそのための予算を付けることを法的義務としている考え方です。この考え方をするのが「抽象的権利説」と「具体的権利説」です。どちらも、法的権利性はあります。違いは裁判規範性があるかどうかです。言い換えると、生存権に基づいて、裁判で争えるかどうかです。

そして、判例では、生存権は、プログラム規定説を採用しています。

抽象的権利説

抽象的権利説とは、生存権は25条に基づいて訴えを起こすことができず(裁判規範性なし)、具体化する法律があって初めて訴えを起こすことができる(裁判規範性あり)という考え方です。

上記2項のように、生活保護法などの法律違反がある場合に限って、その法律違反に基づいて訴訟提起できるということです。言い換えると、生存権は抽象的な権利であるため、生存権に違反するからといって訴訟提起はできないということです。

具体的権利説

具体的権利説とは、生存権は憲法25条で保障されている具体的な権利だから、法律がなくても、直接25条に基づいて訴訟提起できる裁判規範性あり)という考え方です。

上記の2項のように生活保護法等の法律がなくても、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有していない場合、25条の生存権侵害を理由に訴訟提起できるという考え方です。しかし、判例では、具体的権利説は採用していません。

生存権に関する重要判例

  • 『第25条第2項において、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定しているのは、社会生活の推移に伴う積極主義の政治である社会的施設の拡充増強に努力すべきことを国家の任務の一つとして宣言したものである。そして、同条第1項は、同様に積極主義の政治として、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう国政を運営すべきことを国家の責務として宣言したものである。それは、主として社会的立法の制定及びその実施によるべきであるが、かかる生活水準の確保向上もまた国家の任務の一つとせられたのである。すなわち、国家は、国民一般に対して概括的にかかる責務を負担しこれを国政上の任務としたのであるけれども、個々の国民に対して具体的、現実的にかかる義務を有するのではない。言い換えれば、この規定により直接に個々の国民は、国家に対して具体的、現実的にかかる権利を有するものではない。社会的立法及び社会的施設の創造拡充に従って、始めて個々の国民の具体的、現実的の生活権は設定充実せられてゆくのである。』として、25条がプログラム規定説であることを示した。(最大判昭23.9.29:食糧管理法違反事件)
  • 結核を患っていたXが生活保護法に基づく医療扶助及び生活扶助を受けていました。しかし、Xの兄からの仕送りがあることを理由に、扶助打ち切りとなり、争られた。
    これに対して最高裁は、「憲法25条1項はすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に具体的権利を賦与したものではない」とし、25条の法的権利性を否定している点では、プログラム規定説を採用しています。
    一方で、「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、厚生大臣の合目的な裁量に委されてる。そしてその判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあっても、裁量の逸脱と濫用がある場合以外は、違法の問題は生じない」として
    裁量権の著しい逸脱がある場合、司法審査の可能性を認めるということから「裁判規範性を肯定」しています。そのため、「裁判規範性あり」という点では、プログラム規定説には当てはまらないので、25条は、完全なプログラム規定説ではないと解されています。(最大判昭42.5.24:朝日訴訟
  • 障害年金を受給していた者が、子を育てていたため、児童扶養手当の受給申請をした。
    しかし、障害年金と児童扶養手当を同時に受給することはできない併給禁止の規定があり、申請が却下され、争われた。
    これに対して最高裁は、
    「憲法25条の『健康で文化的な最低限度の生活』とは、きわめて抽象的・相対的な概念であり、立法による具体化が必要であり、具体的な立法措置を講ずるかの選択決定は、多方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものであり、立法府の広い裁量に委ねられている。」として25条の法的権利性は否定した。
    また一方で、「立法府の措置が著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない」として、裁量の逸脱・濫用の場合は、司法審査の対象となるとのことなので、裁判規範性ありと判断しました。そのため、『朝日訴訟』同様、プログラム規定説ではあるが、裁判規範性はあると解釈しました。(最大判昭57.7.7:堀木訴訟

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